【読書感想文】西加奈子 通天閣【人生しょうもないと思っている人に】

西加奈子「通天閣」感想

【ざっくりした内容】しょうもない人生が、ほんの少し変わるとき

このしょーもない世の中に、救いようのない人生に。ちょっぴり暖かい灯をともす、驚きと感動の物語

西加奈子(2006年)『通天閣』筑摩書房(帯より)

大阪のミナミに住む、2人の人間の「しょうもない」人生。

1人は男性、40代、独身。工場作業員として働く。将来への展望などは特になく、このまま毎日を暮らし、このまま死んでいけばいいと思っている。

でも、時々、20代の時に付き合っていた女性とその子どものことを思い出す。女性に未練があるわけではなく、なんで子どもに優しくできなかったのか、後悔している。

もう1人は20代女性。彼氏と同居していたけどその彼氏が夢を追って渡米。彼と一緒に暮らしていた部屋で、今も1人で暮らしている。

彼氏からの連絡が1週間おきになり、それが2週間おき、1ヶ月おき・・・とだんだん間隔が長くなってきているのは分かってはいる。でも、「彼氏とは別れたわけじゃない」と自分に言い聞かせ、この言葉を心の支えにして生きている。

この2人に共通しているのは、ある時点で時が止まってしまっており、今を生きていないということ。男性は20代のときのことを思い、今目の前にある暮らしのことは半ばどうでも良いと思って暮らしている。一方女性は、心の中の彼氏と暮らし、今はただひたすら彼氏が帰ってくることを待ち望んでいる。

しかしある時、それぞれに生活の変化が訪れる。それはドラマであるような、きらびやかで劇的なものではないけれど、ちょっとだけ今の暮らしが変わっていくようなことです。

じわっと愛しい大阪という街の生活

わたしは昔、大阪に住んでいました。なので、この話の舞台である大阪のミナミに行ったことがあります。行ったことがあるという程度で、よく知っているわけではありませんが。

わたしにとっての大阪のミナミは、ごちゃごちゃしていて、騒がしくて、危ない、用がなければあまり行きたくない場所でした。初めて大学の先輩と大阪の天王寺に行ったときに、「ここが日本で一番治安の悪い場所だよ」って祝えれたのを未だに覚えています。別にこれと言ってちゃんとした根拠があるわけではないけど、確かに他の街にはない雰囲気がありました。電車に乗っても、キタの方を走る電車の車内と、ミナミの方、正確には、ミナミと呼ばれる繁華街よりさらに南の方の電車では雰囲気が違います。カップ酒をもったおじさんや、歯のないおじさんや、女の格好をしたおじさんがいても(おじさんばっかりやん)、誰も驚かない場所。(女の格好をしたおじさんはこの本にも出てきます。)

「通天閣」を読んでいると、その大阪のザワザワとしたなんとも言えない雰囲気が伝わってきます。その中で暮らす主人公2人やその周りの人達の人生はパッとしないし、真っ当に、光の中で生活している人たちからしたら「どうなのそれ」って思うようなものかもしれません。

大阪の街の生活といえば、岸政彦さんを思い浮かべます。岸さんの「断片的なものの社会学」は本当にオススメです。あの本で、いわゆるマイノリティーと言われる人々の生活に興味を持ちました。いろんなところにいろんな生活があって、社会的にはないことにされていたりする。

そんな本を読んでいたこともあってか、「通天閣」に登場する彼らの生活を、とても愛おしく感じました。

主人公の2人はそんな生活の中で、変わりたいどころか、むしろ積極的にその生活を継続したいと思っていたのですが、小説の終盤、そこに転機が訪れます。その出来ごと自体は、すっごくいい話ではないし壮大な話でもないけれど、それまで彼らの生活に寄り添ってきた読者の心にじわじわと染み込んでくるような展開です。

今の生活が「しょーもない」って思っている人に、ちょっと読んでほしい本でした。

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