【読書感想文】瀬尾まいこ そして、バトンは渡された

いい人たちばかりが登場。こんなのありえないよね?

この作品を読み終わった瞬間の感想をひとことで言うと、「こんなのありえない!」でした。何があり得ないかって、登場人物がいい人たちすぎます。

  • 主人公の優子は母親が2人に父親が3人と、10代にして家族形態が何度も変わる経験をします。毎回、大人の都合で。なのに全くスレてない。
  • そして優子のまわりの大人たちも、みんなそれぞれ個性がありますが、結局のところいい人としか言いようがなありません。優子の最初のお父さん、つまり血のつながったお父さんは海外赴任がきっかけで優子と離れることになります。2人目の奥さんに子どもへの手紙を隠されたり、子どもに会わせてもらえなかったりする訳ですが、怒っている描写はありません。怒るやろ、普通。
  • 優子の2人目、3人目のお父さんたちも優子のことを第一に考えられる人ばかり。血のつながらない子供を持つのって、そんなに簡単ではないのでは?と思うのですが、子どもに自分の生活を邪魔されているなんて微塵も思っていなさそうで、むしろ優子が自分の生活に現れたことで生活が豊かになったと本気で思っています。
  • 優子の2人目の母は自由奔放ながら、優子がピアノが欲しいといえばそのためならなんでもする勢いで、本当にピアノが弾ける環境を手に入れてしまいます。普通の親なら「お金がないからごめんね」と済ませるところでしょう。

こんな優しい世界を見せられて、わたしはどう受け取ればいいのでしょうか?家族という形に正解はないということ?どんな形の家族であっても、幸せになれる可能性があると言いたかった?自分の家族への態度を反省しろと言われているの?

つまり、読み終わった直後には「作者がこの作品を通して伝えたかったこと」が、私には見えてこなかったのです。

あなたはどんなバトンを渡しますか?【作者が言いたかったこととは?】

しかし、本屋大賞受賞作であり、映画化もされるこの小説。もう一歩踏み込めば何か見えてくるのでは?と思い直し、考えてみました。

ここで注目したのは「そして、バトンは渡された」というタイトルです。

この小説は2つの章で構成されています。第1章は優子の幼少期〜学生時代の話。優子というバトンが今の親から次の親へ引き継がれていきます。続く第2章は、大人になった優子の話。結婚することになる、つまり優子自身がバトンを渡す側にります。

ここまで考えて気がつきました。バトンは親から親だけでなく、親から子へ渡されるものなのだということ。つまり、私たちは誰もがバトンを受け取っているということです。

この本はもしかしたら私たちにこう問うているのかもしれません。

「あなたはどんなバトンを受け取りましたか?そして、どんなバトンを渡しますか?」

親子の話にかぎってしまえば、子どもがいない人には関係のない話と思われるでしょう。ですが、もう少し広く解釈して、日常の中でもバトンのやり取りは発生していると捉えてもいいのかもしれません。マンションの廊下ですれ違った人に「おはようございます」と挨拶するのもバトンだし、スーパーで買い物をしたときにレジの人に「ありがとう」と言うのもバトン。人から人に渡すもの全てがバトンなのではないか。

生きていれば、嫌な感じのするバトンを受け取ることもあるでしょう。そのバトンを受け取らないことも可能だし、もっと嫌な感じのバトンを渡すこともできる。そのバトンをどうするかは自分次第です。

そんなふうに考えていると、この本の中に出てきた人たちのように、どんな状況でも自分なりにいいバトンを渡すことができれば、世界が温かなものになっていくのではないかと思えたのです。

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