【読書感想文】伊賀泰代 採用基準【家庭でもリーダーシップが必要】

伊賀泰代さんの「採用基準」を読みました。

この本を読んで目から鱗が落ちたのは、「リーダーシップはどこででも必要とされている」という話です。

しかし本来リーダーシップとは、そういった特殊なイベントを前提としない概念です。それは普通の人によって日常的に発揮される、ごく身近なスキルなのです。

引用元:伊賀泰代(2012)『採用基準』ダイヤモンド社(195ページ)

本書ではこの後に、「マンションの管理組合の集会で出されたお菓子が余っちゃった」という例を用いて、そこでリーダーシップのある人はどんな発言をするのか、逆にない人がどんな行動をとるのか、という話になります。

私はこれまでリーダーシップというのは、会社や部活動など何か一つの目標を持ったチームに必要なもの、かつ、そこにいるリーダーのみが発揮すれば良いもの、と思っていました。しかしこの本の中には、リーダーシップをチームメンバー全員が持つことでチーム運営がスムーズになる、と書かれています。

これらの、

  • リーダーシップはどこででも必要とされている
  • リーダーシップはチームメンバー全員が発揮するべき

という話から、最初に考えたのは、「夫婦でもそうだよね」ということでした。

夫婦ともにリーダーシップのある家が最強

妻だけにリーダーシップを求める家庭が多い

多くの場合、家庭のことに関しては妻がリーダーで夫がフォロワーというケースが多いのではないかと思います。

家庭を維持するには様々なタスクをこなさなければなりません。掃除、洗濯、料理、光熱費の支払いから年末の実家への帰省計画。子どもがいれば、学校選びなど教育関係のタスクもプラスされます。これらのほとんどにおいて妻側が主導権を握っており、夫はそれに対して何もしない、もしくは妻に言われたことをやるだけ、という家が多いのではないでしょうか。もっとたちが悪いと妻が決めたことに文句は言うけど何もしないなんてパターンもあります。

年始に放送されたドラマ「逃げ恥」で子育てに関して「手伝うよ」と発言した平匡さんに対し、みくりちゃんが「手伝うってどういうことですか!一緒に子育てするんじゃないんですか!」と激怒するシーンがありました。これに「そうだそうだ!」と賛同の拍手を送った世の妻はたくさんいるはずです。この「手伝う」という言葉には、「あくまであなたが主役です。私は補助的な立場で支えますから言ってくださいね。」という夫の意志が暗に込められています。つまり、家庭において妻がリーダーであり、夫がフォロワーであるということが当前なのです。

夫側としては「そんなつもりで言ってないよ!協力する意思を示しただけだよ!」と言いたいところかもしれません。しかし、夫が家庭のことに対して「手伝う」というスタンスでいるということは、指示を出したり決定を下すのは常に妻であるということになります。これを仕事で例えると、部下が何をするにも自分で考えずに上司の指示を仰いでくるようなものです。妻が家庭というプロジェクトのリーダー、夫がメンバーだとするとリーダーの負担が大きすぎると思いませんか。

なぜメンバー全員にリーダーシップが必要なのか

では具体的に、家庭というチームにおいて、チームメンバー全員にリーダーシップがあるというのはどういう状態かを「食器洗い」という例で考えてみたいと思います。

現状では食後に妻が一人で食器を洗っており「面倒だ」と不満が溜まっているとします。

妻側が現状を変えたいと思った場合、まずは食器洗いを夫婦で分担することが提案されるでしょう。しかしながら夫は「食後の片付けは妻の仕事である、自分が解決すべきものではない」という意識があるので、しぶしぶ受け入れるものの内心「面倒だ、妻がやってくれればいいのに」と思います。ひどい場合には「それはあなたの仕事だから」と拒否する可能性もあります。

ここで夫側もリーダーシップを発揮したとします。すると「食器洗い」を自らがコミットすべき問題であると捉えます。夫が食器洗いを「自分もやってみようかな」と思えば分担がなされるでしょう。「自分もやりたくない」と思えば、「食器洗いは面倒だからできるだけやらない方向にしよう」という別の選択肢が現れます。そうすると「週末は外食にしよう」「食洗機を導入しよう」などの新たなアイデアが生まれるかもしれません。

ここまで食器洗いを例に出しましたが、他のタスクでも同じです。チームメンバーがリーダーの立場で考えることができたときに、問題解決までのスピードが格段に速くなるのです。

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